本当は、第二回からは、いつも見ているというか、録画している番組について、順次書く予定でしたが、変更して、舞台中継のことを書き出してしまったのは、次のような理由です。
この4月で、東京の歌舞伎座が改築のため、三年間の休止になりました。
それを記念してというか惜しんでか、NHK Hi-vision で、「待ってました!歌舞伎座クライマックス」というシリーズが、4月26日から4夜連続で放送されました。
私の大好きな松本幸四郎、片岡仁左衛門を初めとする、現代の名優が出演した、最近の名舞台が、一日に二つずつ放送されました。
司会は、いつも歌舞伎放送を担当する葛西聖司アナウンサー、ゲストに直木賞作家であり、歌舞伎研究家、脚本家である松井今朝子氏が登場して、二人で歌舞伎について薀蓄が語られた。その時のお二人の話を聞いていて、テレビによる舞台中継の意義を改めて感じたので、予定を変更したわけです。
お二人の話で、まず、びっくりしたのは、NHK歌舞伎初放送が既に昭和28年に行われていたということです。その演目は義経千本桜「吉野山」だったそうです。このときは、舞台デナクテ、スタディオでの演じたのを生中継したそうです。
実際の舞台を中継放送された最初のものは、翌昭和29年で、演目は「蘭平物狂い」、先代尾上松録の当たり芸でした。
この頃は、まだ、ビデオ収録が発達しておらず、全部生中継でした。
世界で始めてオペラの舞台を中継して放送したのは、NHK で、最初は、昭和31年にNHK が招いた第一次イタリアオペラ団の東京宝塚劇場と産経ホールにおける公演でした。昭和34年の第二次イタリアオペラ団も生中継で、最初のビデオ収録で放送されたのは、1961年の第三次イタリアオペラ団の公演で、これは、現在DVDで市販されていて、現在でも見ることが出来る。
この時までは、まだ白黒の時代であった。
アメリカのメトロポリタン歌劇場の舞台中継が始まったのは、1977年であるから、いかにNHK が、世界に先駆けていたかが、分かろうものである。
それで、お二人の話で何が印象的であったかというと、葛西聖司アナウンサーは、その頃のNHK のテレビの放送で、初めて歌舞伎を見て、感激し、NHK に入って歌舞伎の仕事をしたいと思ったということ。また、松井今朝子は、京都で歌舞伎を舞台で見て、歌舞伎ファンになったのだが、その頃の京都では、歌舞伎公演は年に何度もなかったので、中学生の頃から、その頃できた新幹線で日帰りで、東京の歌舞伎座に通っていたということです。しかし、毎月もというわけには行かず、NHK の歌舞伎中継を楽しみにしていたという。そのころは、現在のような大画面でもなく、ハイビジョンでもなかった。それでも、実際の舞台を何度も見ているお二人が、当時のテレビの舞台中継を、やはり、舞台は、ナマでなければ、とは思わずに楽しんでいたわけである。
そして、平成3年からハイビジョン放送が始まると、リアルな画像で、歌舞伎の色の美しさが再現され、時にはナマの舞台以上の生々しい再現も可能になっている。
そして、テレビ中継ならではの、見所として、葛西アナウンサーが、第一日目に放送された「青砥稿花紅彩画~弁天娘女男白浪~」の浜松屋の場面で尾上菊五郎演ずる弁天小僧が、山形屋で前もって買ってきて、山形屋の紋が入っている赤い布を、懐から出して、浜松屋が出してきている商品の中に混ぜる場面がある。そして、今度は、わざと分かるように、その商品を懐にしまうので、万引きと疑われるわけだが、いざ懐から取り上げて見ると、山形屋の紋が入っているという筋書きである。
だから、さっと店の者に分からぬように、懐から出すところと、こんどは、万引きらしく、しまうところが一番のみどころなのだが、それを舞台の演技では、気をつけていないと一瞬で終わってしまう。舞台を何度も見ているはずの葛西アナウンサーが、そこのところがハイヴィジョンでアップで見せられたので、よく分かりました、と終わった後の二人の話の中で言っていたのが印象的だった。
野球などスポーツのテレビ中継は、よく筋書きのないドラマだといわれるように、次に何が起こるが分からないが、舞台の中継は、筋書きが分かっているので、前もって、見所を押さえておいて、そこをアップして、よく見えるようにすることができる。録画しておけば、気に入ったところを何度も繰り返してみることができる。
そんなわけで、舞台を、録画で楽しむのは、実際の舞台とは、また、違ったそれ自体の楽しみ方がある、ということを、まずは、お二人の対談の中にみつけたので、早速取り上げてみたわけです。
これ以外に、私自身の体験や、私の独自の楽しみ方について、また、おいおい語って行きます。
舞台は、やはり、ナマでなければと、折角の舞台のテレビ放送を見ないのは、バカだね、と言いたいのです。

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